私と手芸

ソーイングブロガーmoiponさん洋裁歴記事に便乗して、私も自分の手芸のあゆみを書いてみたいと思います!

無駄に長いですが、お時間ある方はお付き合いくださいませ〜。


私の趣味はどれも両親から影響を受けたものが多いです。

お裁縫や編み物は母、映画や読書の好みは父親似。

母は高校卒業後お裁縫の専門学校へ通っていたそう。確か専攻は和裁だったはず。結婚して姉と私が生まれてからはもっぱら趣味で洋裁をしていました。

姉とお揃いの手作り服がたくさん!母と3人でお揃いっていうワンピースもありました。多分今までに私が着た浴衣はほとんど(もしかしたら全部)母が縫ったものだったんじゃないかなぁ。

この記事のトップ画も姉とお揃いのお洋服。

母はフェルトのマスコットを作ってくれたり、カルトナージュ(当時そんな洒落た呼び名だったのかはわかりませんが)なんかをしたり、色々してました。

手元に写真が無かったのですが母方の祖母は編み物がすごく得意で、私たちが子供の頃は手の込んだセーターなどをたくさん編んでくれました。

そんな私が初めてちくちく始めたのは小学生の頃。

最初は手縫いで、ポケットティッシュケースなんかを作った記憶があります(使えるものだったかどうかは別として。笑)

その後小学校高学年くらいのときかな。ホッチキスみたいな形のハンドミシンを買ってもらいました。

編み物を始めたのも同じくらいの時。母と祖母に教えてもらいました。

最初はごくごく簡単なマフラーから始めて、作り目や糸の処理なんかは母にやってもらってたなぁ。

 
 

これは手芸というより工作なんだけれど、小学生の時の夏休み、ドールハウスを作りました。

母にはかなり手伝ってもらい、製材業をしていた母方の祖父にはお家の造りを手伝ってもらい…今でも私の大事な思い出、宝物です。

次日本へ帰ったらもっといい写真撮ってこよう♪


好きだから、作ってみたいから、という気持ちが強かったのはもちろんですが、私の手芸の始まりは全て家族との思い出。母や祖母が教えてくれたから、楽しい思い出として残っています。それはきっと、今でも手芸が好きな理由の一つ。

中学生の頃は部活が忙しく、あまり手芸に打ち込む時間はありませんでした。

編み物やビーズなんかを少しだけ。始めてマフラー以外のもの、ミトンに挑戦したのも中学生の頃。祖母に大いに手伝ってもらいました。

中学生の頃はリメイクにはまった時期でもありました。Tシャツの袖を切ってレースをつけたり、パンツを解体してスカートにしたり。多分、思春期の頃リメイクにはまった手芸好きさんは多いのでは?!

母のミシンとロックミシンを借りて適当にやってました。今思えば何でも揃っていて贅沢なソーイング環境でした。

高校時はさらに学校が忙しく、ほとんど手芸に使うことはなかったかも。

この頃は編み物が趣味なんておばあちゃんぽい?って思ったりもして笑、あまり自分から手芸好きをアピールすることもありませんでした。

高校在学中カナダへ1年間留学した際は、学校でファッションクラスを取りました。お裁縫ばかりをする家庭科のような授業です。

そこで先生の手を目一杯借りつつキャミソールやスカートを縫いました。着れるものには仕上がらなかった気がするけど…

高校卒業後実家を出てからはミシンがないので洋裁は全くせず、マフラーをシーズンに1本編む程度。

代わりに粘土や羊毛フェルトにちょっとはまりました。東京に住んでいたのですが、吉祥寺のユザワヤよく通ったなぁ。

当時大きさ比較に使っていた携帯。今は懐かしい二つ折り!

粘土はこの一時しかしてないけど、羊毛フェルトは今でも時々します。クリスマスオーナメントを作ったり。

粘土やミニチュア作りはまた始めたいと思って早数年。一から材料を揃えるのが大変そうで手をつけてないのです…

その代わり、インスタグラムを始めてからはミニチュア作家さんをたくさんフォローして楽しませてもらっています。

私が本格的に手芸(特に洋裁と編み物)を再開したのはカナダに引っ越してきてから。

カナダに移住した最初の年(2008年)のクリスマスにミシンを買ってもらいました。

どの程度使うのかわからなかったので安いミシンにしたのですが、今でも使ってます。約8年、かなり使い倒したのでそろそろ買い換えたい。

そのミシンで最初に縫ったのが、ガタガタのティッシュケースと巾着。やすーいセールになってた布で。

 
 

その後、母や家庭科の先生の手を借りず、初めて一人で完成させた洋服がこちらのキャミソール。これが2009年。

出来上がりが綺麗じゃなかったのと、自分で作ったものを着る気恥ずかしさみたいなものがあって、結局一度も外には着て行かなかったはず。

編み物はマフラーの他にニット帽、指無し手袋、もみじのセーターなどを編んでいましたが、このころはまだ小物ばかり。

かぎ針編みを再開したのもカナダに来てから(2008年以降)。編みぐるみを始めて編んだものその頃。

余談ですが、私は日本語だと棒針編みとかぎ針編みの総称語として"編み物"という言葉を使っていたのですが、英語圏だと二つの総称語に当たる言葉が無いんでしょうかね?

yarn craftとかかなぁ?棒針編みはknitting、かぎ針編みはcrochetingとはっきり分かれていて、毛糸という同じ材料を使うが似ていて非なるもの、ほぼ別のジャンルのような扱いです。

結婚式に身につけたビーズアクセサリー(ネックレス、ヘッドドレス、ピアス)はキットを使い手作りで。

ビーズ作業をするのは小、中学生ぶりくらいで楽しかったな〜。

デザインも気に入っているし説明書もわかりやすい素敵なキットでした。特にネックレスがお気に入り。

私の編み物人生の転機(といったら大袈裟ですが)は小物からステップアップして袖付きのウェアを編み始めた時。おそらく2011年ごろ。

始めて袖があるウェアを編むのに、編み込み模様のを選んだ無謀な私。

それでも形になって、かなり感動したし一人でここまで編めるようになったんだ!と嬉しかったのを覚えています。これ気に入っていて今でも大事に着てます。

でも私の場合、編み物も洋裁も大きな転機というよりは、一つ作るごとに新しい発見があって新しく学ぶことがあるという感じ。新しい技を身につけるのって癖になります。

洋裁で、外に着ていけるお洋服を作り始めたのは2009年の終わり頃か2010年頃。

最初はボタンもファスナーもないタイプのワンピースやブラウスから始めました。

 
 

一時期洋服よりもバッグやポーチなどの小物作りにはまっていた時もありました。

これが初めて作ったバッグ。


ファスナー付きのフィットアンドフレアなどのワンピースを作り始めたのはごく最近の2014年。

ここ1、2年は洋裁、編み物ともに海外の英語パターンにも挑戦するようになって、かなり世界が広がった気がします。

刺繍にも時々手を出したりしているし、前述通りミニチュア作りもしてみたい。

多分これからも私は(趣味に関しては)何か一つに絞ることはないんだろうなと思います。

どれも中途半端でどれも極めることが出来ないのだけれど、興味を持ったことはとりあえずやってみたいんです。(こういうのを器用貧乏というんでしょうかねぇ。)

時々、"売れるよ!"とか"趣味にしておくのは勿体無い”なんてありがたい言葉をかけてくださる方がおりまして。

ほとんどの方は"そのくらい良い感じ!"といった褒め言葉で言ってくださるのだと思いますが、たまに"この方本気で売ることを勧めてくださってるんだな"ということがありまして。

とてもとてもありがたいと思いますし、以前一度真剣に考えてみたこともあります。でも今後もおそらく売ることはないかと。

売るには私の技術が未熟であることが大きな理由ですが、やはり趣味は趣味だから楽しいんですよね。

私は自分が着たい、欲しい、作りたい、と思うものを作りたいときに作るのが好き。

手芸をする人の中には作ることがとにかく好きで使うことは二の次という方もいらっしゃるかと思います。そういう方はきっとハンドメイド作品を販売するのに向いている。

私は、作る過程ももちろん好きだけど、その先に自分が着る使うという目的があるからこそなんです。(もちろん、たまに誰かにプレゼントしたりするのも楽しいですよ。)

仕事にするからこそ楽しい好きなこと、というのも存在すると思うのですが、私にとって手芸は趣味(自己満足)であるからこそ、ずっと趣味として純粋に楽しみたいもの、なのだと思います。

ところで振り返っていて思ったんですが、手芸のスキルも少しは上達したけれどそれ以上に写真が綺麗になった!笑

写真の勉強を始めたのが2010-2011年くらい。写真も手芸もこれからまだまだ成長していけるといいな!

趣味満載のブログをこうして新しく作り変えたことだし、今年も引き続きたくさん作っていきたいと思います。

長〜い記事をここまで読んでくださった方、どうもありがとうございます♪

Jun 17, 2016

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