読書感想:『The Chronicles of Narnia: The Voyage of the Dawn Treader』

7月はボランティアが忙しい月だったのもあり、読めたのは一冊だけ。

参加しているボランティアは翻訳、編集、校正、寄稿という読んだり書いたりする作業内容なため、それ以外の時間では「読む」ことから少し離れたくなりがち。


そんな今月の本は『The Voyage of the Dawn Treader』。

 
 

邦題は『朝びらき丸 東の海へ』。

『ナルニア国ものがたり』シリーズの3作目(出版順)となります。

この作品まで(ナルニアシリーズ最初の3作)は映画化もされているので馴染みがある方も多いでしょう。

ユースチスを演じた俳優さんがとても上手で、映画版2作目よりも3作目の方が私は好きだったかも。(一番好きなのはやっぱり第1作目。)

映画と原作に大きな違いが見られた2作目に続き、今作も結構な違いがありました。

(2時間前後の映像作品に収める上で多少の変更は必要だと思うので、私はさほど気になりませんでした。)


今作では、1、2作目の舞台となったナルニア国の中心部(?)を離れ、遠く東の海へ航海するお話。

全編通して、船の上か、途中立ち寄る島々の中で起こる話が描かれています。


2作品目を読み終えた頃に、ネットで作品に対する評価や、作品の背景などを少し読んでいて。

そこで作者のC・S・ルイスがクリスチャンであること(それ自体はその時代のイギリス人なら特に驚くことではないですが)、

『ナルニア国ものがたり』はキリスト教のシンボルや聖書の話がベースとなっていることを知りました。

それを読むまで全然気が付かなかった!

おそらく聖書やキリスト教についてもっと知識がある人ならば気がつくのでしょうけど、そうでないと気が付かないのも当然といえば当然なのかもしれません。

ただ一度知ると、思い当たる節はたくさんありますね。

『ライオンと魔女』でのアスランが他の者の罪のため自ら犠牲となり、その後復活するところとか。

むしろ何で気が付かなかったのか不思議なくらいキリストの話そのまんま。

そんな前知識を持って読んだ今作は、「おそらくこれは聖書的な話なのだろうな」と思う部分がいくつかありました。

宗教そのものや信仰心、そして信仰心を持つ人を否定してはいけない。

それは頭ではわかっているつもりでも、私自身、懐疑的な気持ちを拭えません。

何らかの偉大な存在だったり、八百万の神といったような自然現象に対する信仰や畏怖の念、何かに祈りたい気持ち。

そういうことは理解できるし、私だって無意識にしているところもきっとあると思うんです。

ただ、さまざまな決まり事を人が作りそれを教典とし、宗教団体が富を蓄えたり政治的な力を持ったり、戦争のきっかけとなったり。

人間の歴史の上に存在する宗教は、そんなものが多くないですか?

そしてそんな宗教団体に対してはどうしても懐疑的になってしまうのです。

カナダでは80年代から90年代終わりまで、政府によって強制的に先住民族の子供たちをカナダ文化に同化させる寄宿学校を運営していたのですが、それにはカトリック教も関わっていました。

学校といえば聞こえがいいですが実質それは留置所のようなもので、子供たちを強制的に家族から引き離し先住民としての言語や文化を消し去るための虐待をおこなっていたような、そんな施設です。

そんな社会的問題も私が宗教団体に対する疑問を持つ理由となっています。

だから、『ナルニア国ものがたり』のベースにキリスト教があると知り、シリーズに対する興味がどうしても少し薄れていってしまって。

鈍感なことにそれまで全く気が付かなかったのだから、そのまま自分の解釈で読み進めたらいいじゃないかとは思うんですけどね…

シリーズ7作全部読むつもりだったのだけれど、このまま興味が薄れていったら完走できないかもしれない〜。

ただ少なくとも、後もう1作は読むつもりでいます。

3作目までは映画で得た情報や先入観があったのに比べ、次は前知識なしで本当にまっさらな状態で読む作品。

どんな風に感じるのか気になるので、とりあえず次の作品は読んでみます。


今作で「おっ」と思ったのは…

とある島で「星」と出くわす部分。

「僕たちの世界では、星は燃焼性ガスで出来た大きな球形のもの」と言うユースチスに対し、

「あなたの世界でも、それはあくまでも星の成り立ちに過ぎない。星が『何であるか』ではない。」

というような答えを「星」が返します。

混同しやすいけれど、それは全く別のもの。

例えば、

人間ってなんだ?

という問いに対し、体を作り上げる物質が何であるかという答えは出せても、

どのような存在であるか、はきっともっともっと複雑。

もう一箇所ブックマークしたのは、

「Courage, dear heart」という部分。

これはとても有名な一節らしくて、私この引用を冠した毛糸を持っているんです。(毛糸の色の名前が「Courage, dear heart」。)

ナルニアからの引用ということは知っていたのですがどのシーンだったのかは知らなかったので、読んでいて「ここだったのか〜!」となりました。

2作目ではピーターとスーザンがナルニアへ来るのは最後(大人への階段を上がりつつあるため)で、今作ではエドマンドとルーシーも最後。これでペベンシー家4人の子供たちの話は一旦区切りがつくことになります。

3作目で初登場となったユースチスは次作でも登場する様子。

このユースチスというキャラクター、なかなかに興味深くて私は好きなのでどんな活躍を見せてくれるのか楽しみ。

『朝びらき丸 東の海へ』の中でユースチスが改心するのは罰を受けたからだ。

罰ではなく、自らで自分自身の過ちに気がついて欲しかった。

というようなレビューを見て、なるほど。と思いました。

確かに近年では子育てなんかにおいても、罰を与えるのではなく、どうやってそれがいけないことなのかを理解し気づかせる方針にシフトしていっていますよね。

時代と共に考え方は変わると思うので、昔に書かれた作品の中にタイムレスに受け入れられる部分とそうではない部分が出てくるのは当然。

それを含めて考えてみるのも興味深いかもしれません。



Aug 4, 2022

Previous
Previous

読書感想:『The Chronicles of Narnia: The Silver Chair』

Next
Next

読書感想:『The Chronicles of Narnia: Prince Caspian』